倉志のノート

倉志社太の数学とか物理とかのノートです。

量子力学とブラケット記法に関する考察1(ベクトル空間)

私は最初に線型空間論で双対空間について学んだ時、全く理解ができなかった。
おそらく大学数学で一番最初に躓いたのが双対空間に関する話であったように思う。
(全く関係ないが、その次に躓いて学部時代に数学を嫌厭するようになったのは位相空間論の話である。)

修士の終わり頃になって、初めて(実Euclid空間の)双対空間が実は内積のペアであるというアイデアに触れ、双対空間を理解できるようになった。
厳密に言えば、これは自明なことではなくRieszの表現定理の帰結である。
当時は関数解析をちゃんと学んでおらずRieszの表現定理については名前以外知らなかった。
そのため、厳密に理解していたかと言われると怪しいが、直感的な理解の手助けにはなった。

同様の考え方は量子力学のブラケット記法にも言える。
私が読んだことのある量子力学の教科書の多くでは、複素列ベクトルとしてケットベクトル | \psi \rangleを定義し、その随伴ベクトル(共役転置した行ベクトル)としてブラベクトル\langle \psi|を定義している。
しかし、どの教科書だったか忘れてしまったのだが(量子情報の教科書だったのは覚えている)、ブラベクトルを線型汎函数、すなわち双対空間の元として定義していた教科書もあった。
当時はよくわからずサラッと読み流してしまったのだが、実際ブラベクトルを線型汎函数で定義するとブラケット記法がわかりやすくなる。
次にあげる資料はその点がよくまとまっていてわかりやすいと思う。。

ブラケット記法の機微ー双対構造と内積構造
http://www.sceng.kochi-tech.ac.jp/koban/quatuo/lib/exe/fetch.php?media=2012:kitano2.pdf



話は変わるが、量子力学的な状態を表すためには複素Hilbert空間上のベクトルがよく使われる。
厳密な定義は後で書き下ろすとして、複素Hilbert空間は

  1. 係数体が複素数 \mathbb{C}であるようなベクトル空間 \mathscr{H}
  2. 内積 (\cdot,\cdot): \mathscr{H} \times \mathscr{H} \rightarrow \mathbb{C} が定義され
  3. その内積から導かれるノルムに関して完備であるような空間

を満たす空間である。

私が読んだことのある量子力学の教科書では、複素Hilbert空間\mathscr{H}を定義した後にすぐに複素Euclid空間\mathbb{C}^nを具体例として議論を進めていく。
確かに\mathbb{C}^nはEuclid内積の下で複素Hilbert空間を成すが、私は正直ここにあまり納得がいっていなかった。
というのも、量子状態を数学的に記述するのに複素Hilbert空間という抽象的なものを用意しておきながら、議論は\mathbb{C}^nで進んでいくのだ。
\mathbb{C}^n でないような複素Hilbert空間で構成される量子系は存在しないのか、と疑問に思ってしまう。
最近、実はその一例ではないかと思われる表現を藤原彰夫先生の本 *1 で見つけた。

これが実際に\mathbb{C}^nでないような複素Hilbert空間で構成される量子系となるのかを順番に考えてみる。
そして、もしこれが実際に量子系をなした場合のブラケット記法についても考えてみようと思う。

以降では何回かに分けて考察を行っていく。
今回はまず基本となるベクトル空間を解説する。

ベクトル空間(線形空間

ベクトル空間を定義するためには、まず体というものを定義しなければならないのだが、その辺からやりだすと非常に長ったらしくなるので割愛する。
大雑把にいうと、加法と乗法が定義され分配則を満たすような集合である。
有理数全体の集合 \mathbb{Q}、実数全体の集合 \mathbb{R}複素数全体の集合 \mathbb{C}は体である。
量子状態を記述するのは複素Hilbert空間であるため、体 K \mathbb{C}のことと考えても問題ないと思う。

定義
集合V \neq \emptyset が体 K 上のベクトル空間とは、次のi-viiiが成り立つことである。

  1. 任意の\boldsymbol{x}, \boldsymbol{y} \in V に対して「和(加法)」と呼ばれる元 \boldsymbol{x}+\boldsymbol{y} \in V が定まり、次のi-ivが成り立つこと。
    1.  (\boldsymbol{x}+\boldsymbol{y})+\boldsymbol{z}=\boldsymbol{x}+(\boldsymbol{y}+\boldsymbol{z})
    2. 零元 \boldsymbol{0} \in Vが存在して、 \boldsymbol{x}+\boldsymbol{0}=\boldsymbol{0}+\boldsymbol{x}=\boldsymbol{x}
    3. 任意の \boldsymbol{x}\in Vに対して、ある元 \boldsymbol{x}^{\prime} \in V が存在して、 \boldsymbol{x}+\boldsymbol{x}^{\prime}=\boldsymbol{0}
    4.  \boldsymbol{x}+\boldsymbol{y}=\boldsymbol{y}+\boldsymbol{x}
  2. 任意の \alpha \in K と任意の \boldsymbol{x} \in V に対して「\boldsymbol{x}スカラー倍」と呼ばれる元 \alpha\boldsymbol{x}\in V が定まり、次のv-viiiが成り立つこと。
    1. \alpha(\boldsymbol{x}+\boldsymbol{y}) = \alpha\boldsymbol{x}+\alpha\boldsymbol{y}
    2. (\alpha+\beta)\boldsymbol{x}=\alpha\boldsymbol{x}+\beta\boldsymbol{x}
    3.  \alpha(\beta\boldsymbol{x}) = (\alpha\beta)\boldsymbol{x}
    4. 任意の\boldsymbol{x}\in V に対して、あるスカラー 1 \in K が存在して、1 \cdot \boldsymbol{x} = \boldsymbol{x}
この時、Vの元をベクトル、Kの元をスカラーと呼び、Kを係数体と呼ぶ。
また、iiで定まる \boldsymbol{0}を零元、iiiで定まる\boldsymbol{x}^{\prime}\boldsymbol{x}の逆元と呼ぶ。




いくつか具体例を見ていこう。
ここでは証明は特に与えない。

  • 例1:  Kを体、 n自然数とする。
    K^n := \left\{\begin{bmatrix} x_1 \\ \vdots \\ x_n \end{bmatrix} \middle| x_1, \dots, x_n \in K \right\}
    と定義し、加法とスカラー倍を次式で与える。
    \begin{bmatrix} x_1 \\ \vdots \\ x_n\end{bmatrix}+\begin{bmatrix} y_1 \\ \vdots \\ y_n\end{bmatrix}=\begin{bmatrix} x_1+y_1 \\ \vdots \\ x_n+y_n\end{bmatrix}, \qquad \alpha\begin{bmatrix} x_1 \\ \vdots \\ x_n\end{bmatrix} = \begin{bmatrix} \alpha x_1 \\ \vdots \\ \alpha x_n\end{bmatrix}
    この時K^n、すなわち n次元の列ベクトル全体はベクトル空間である。

  • 例2: 特に KK上のベクトル空間である。
    例1でn=1とおけば良い。

  • 例3:  a,b \in \mathbb{R} とした時、 (a,b)を定義域とする連続関数の集合
     C(a,b) := \{ f: (a, b) \rightarrow \mathbb{C} \}
    は関数の和と定数倍により \mathbb{C}上のベクトル空間である。
    ここで関数の和と定数倍は
     (f+g)(x) = f(x) + g(x), \quad (\alpha f)(x) = \alpha f(x)
    として定義する。
    特に零元は \mathbb{o}:x \mapsto 0、すなわち任意のx \in (a.b)に対して 0を割り当てる関数で定義する。

  • 例4:  m, n自然数とする。
     M_{m,n}(K) := \left\{ A=\begin{bmatrix} a_{11} & \cdots & a_{1n} \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ a_{m1} & \cdots & a_{mn} \end{bmatrix} \middle| a_{ij} \in K \right\}
    つまり m \times n行列全体の集合は、行列の和とスカラー倍により K 上のベクトル空間。
    ただし零元は零行列とする。

  • 例5: 特に n 次エルミート行列全体の集合は \mathbb{C} 上のベクトル空間である。


次に線形(一次独立)独立を定義しよう。
定義
 V K上のベクトル空間とする。
 \boldsymbol{x}_1, \dots, \boldsymbol{x}_k \in V c^1, \dots, c^k \in Kに対し、
 \displaystyle \sum_{j=1}^k c^j \boldsymbol{x}_j = c^1\boldsymbol{x}_1 + \cdots + c^k \boldsymbol{x}_k = \boldsymbol{0} \quad\Leftrightarrow\quad c^1 = \cdots = c^k = 0
であるとき、 \boldsymbol{x}_1,\dots,\boldsymbol{x}_k は線形独立(一次独立)いう。


  • 例6:  K^n において
     \boldsymbol{e}_1 = \begin{bmatrix} 1 \\ 0 \\ 0 \\ \vdots \\ 0 \end{bmatrix}, \boldsymbol{e}_2 = \begin{bmatrix} 0 \\ 1 \\ 0 \\ \vdots \\ 0 \end{bmatrix}, \dots, \boldsymbol{e}_n = \begin{bmatrix} 0 \\ 0 \\ 0 \\ \vdots \\ 1 \end{bmatrix}
    とおくと、 \boldsymbol{e}_1, \boldsymbol{e}_2, \dots, \boldsymbol{e}_n は線形独立である。

  • 例7:  C(0,1) において、 1, x, x^2, \dots, x^k は線形独立である。


次回はベクトル空間上でノルムと内積を定義し、ノルム空間と内積空間について議論しようと思う。

*1:藤原彰夫著「情報幾何学の基礎 (数理情報科学シリーズ)」 牧野書店(2015)

有限加法族

Euclid空間の「長さ」「面積」「体積」は有限加法性を持っている。

例えば2つの\mathbb{R}^2上に重ならない2つの正方形があった時、合計の面積はそれぞれの面積で表される。

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この「面積」の一般化が有限加法的測度である。

 

有限加法族

有限加法的測度の前に、有限加法族の定義から入る。

これはユークリッド空間における長方形や直方体などの図形の集合を一般化したものである。

まだ「面積」は定義されていない。

 

定義

集合Xの族\mathcal{F}に対し、

  1. \emptyset \in \mathfrak{F}
  2. A \in \mathfrak{F} ならば A^c \in \mathfrak{F}
  3. A, B \in \mathfrak{F} ならば A \cup B \in \mathfrak{F}

を満たす時、\mathfrak{F}X 上の有限加法族と呼ぶ。

ここでA^cAの補集合を表す。

 

 

この定義から次の3つの性質が言える。

  1. X \in \mathfrak{F}
  2. A,B \in \mathfrak{F} ならば A \cap B \in \mathfrak{F}
  3. A,B \in \mathfrak{F} ならば A \backslash B \in \mathfrak{F}

証明

  1. i.より\emptyset\in\mathfrak{F} なので、ii.よりX = \emptyset^c \in \mathfrak{F}
  2. A,B\in\mathfrak{F}とすると1.よりA^c, B^c \in \mathfrak{F}
    ゆえにiii.よりA^c\cup B^c \in \mathfrak{F}
    さらにde Morganの法則とii.を用いるとA \cap B = (A^c \cup B^c)^c \in \mathfrak{F}
  3. A,B\in\mathfrak{F}とすると1.よりB^c\in\mathfrak{F}
    よって2.よりA \backslash B = A \cap B^c \in \mathfrak{F}

 

 

直積に対して有限加法族は次の定理から作ることができる。

 

定理

Z=X \times Y(直積)とし、\mathcal{E}, \mathcal{F}をそれぞれX, Y の有限加法族とする。

K=E \times F, \quad E \in \mathcal{E}, F \in \mathcal{F}\qquad(**)

なる形の集合の有限個の直和として表されるものの全体\mathfrak{R} は有限加法族。

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証明

  1.  \emptyset=\emptyset\times\emptyset, \emptyset\in\mathcal{E}, \emptyset\in\mathcal{F} より、 \emptyset\in\mathfrak{R} は明らか。
  2.  E \in \mathcal{E}, F \in \mathcal{F} とする。
    \begin{align} Z =& (E + E^c) \times (F + F^c) \\ =& E \times F + E \times F^c + E^c \times F + E^c \times F^c \end{align}
    より、
    \begin{align} (E \times F)^c = E \times F^c + E^c\times F + E^c \times F^c \end{align}

    有限加法族の定義ii.より、 E^c \in \mathcal{E}, F^c \in \mathcal{F}
    よって、 E \times F^c, E^c \times F, E^c \times F^c は全て(**)の形で書ける。
     \mathfrak{R} の定義より、これらの直和である (E \times F)^c \mathfrak{R} に属する。

  3. \displaystyle A = \sum_{i=1}^n (E_i^A \times F_i^A), B = \sum_{j=1}^m (E_j^B \times F_j^B), E_i^A,\\ E_j^B \in \mathcal{E}, F_i^A, F_j^B \in \mathcal{F}とする。 この時、
    \begin{align} A \cap B =& \sum_{i=1}^n (E_i^A \times F_i^A) \cap \sum_{j=1}^m (E_j^B \times F_j^B) \\ =& \sum_{i=1}^n \sum_{j=1}^m (E_i^A \cap E_j^B) \times (F_i^A \cap F_j^B) \end{align}
    となる。  E_i^A \cap E_j^B \in \mathcal{E}, F_i^A \cap F_j^B \in \mathcal{F} のため、これらの有限個の直和である A \cap B \mathfrak{R} に属する。
  4.  A = \sum_{i=1}^n (E_i \times F_i), E_i \in \mathcal{E}, F_i \in \mathcal{F} とおく。
    de Morganの法則より、
    $$ A^c = \bigcap_{i=1}^n (E_i^c \times F_i^c) $$
     E_i^c \in \mathcal{E}, F_i^c \in \mathcal{F} より、 E_i^c \times F_i^c \in \mathfrak{R}
    従って、3. より A^c = \bigcap_{i=1}^n (E_i^c \times F_i^c) \in \mathfrak{R}
  5.  A, B \in \mathfrak{R} とおくと、
    $$ A \cup B = A + (B \backslash A) = A + (B \cap A^c) $$
    4. より A^c \in \mathfrak{R} なので、3.より B \cap A^c \in \mathfrak{R}
    従って、 A \cup B = A + (B \cap A^c) \in \mathfrak{R}

以上の1, 4, 5から有限加法族の性質i, ii, iiiが言えた。(証明終)

 

 

 

次回はこの有限加法族を用いて有限加法的測度を定義していく。

 

 

ところで&が自動エスケープされるのどうにかならんのか。